Ni_bansenji

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語るタイプのオタクがおくるちゃんぽん感想文

雨の音で歌を歌おう

 先日の授業で、提出物に「あなたの好きな曲、あるいは歌詞の一節を教えてください」という欄があった。そんなむき出しの自分を晒すような恥ずかしいことができるか。隣には知り合いもいらっしゃいますし...。怖気付いた「私はスピッツの「優しいあの子」のラストが好きです」と書きました。

口にする度に泣けるほど 憧れて砕かれて

消えかけた火を胸に抱き 辿り着いたコタン

 

って歌詞なんだけど、たまらなく胸を締め付けられて聴く度に若干目を潤ませてしまうんですが、え、本当にこれが一番?もっと恥ずかしいものがあるんじゃない?って探してる家路です。

 

 前にも書いたけど私は何も考えないように音楽を聴いているのです。将来のことも縛られてる過去も今だって不安な要素になってしまうから耳栓の代わりにイヤホンを挿します。

 別になんのイベントもなくたって眠れない夜は訪れるし、その悩み事がまたくだらんのだ。誰かがいなきゃ生きていけないのに、誰といてもずっとひとりきりなのは惨いよなとか、私と一緒にいてくれる人は哀れみかもしくは都合よく使うために一緒にいてくれるのかなとか、間違っていることはわかっていても正しく生きることが出来ないなら倫理観なんかくそくらえとか、なんの節目でもないのに時間が経つことがとてつもなく悲しかったり。この悩み事ですら没個性で笑っちゃう。そう、こんなに苦しんでる悩み事なんて誰しもが抱えていて、みんな平気な面をしているってのが辛い。Mr.Children名もなき詩

あるがままの心で生きられぬ弱さを 

誰かのせいにして過ごしてる

知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中で

苦しんでいるなら 僕だってそうなんだ

ってラストの一言はむちゃくちゃに染みるけど、同士がいたという喜びではなく、自分の情けなさにくる。

 

  なんだかんだ言って、桜井和寿は強い。本当はそういう人間にならなきゃ行けないんだろうけど、それでも私は弱い人が好きだ。自分の無力を知りながら何かを成そうとしている人が好きだ。

 

 それは「機械になりたいんだ優しさを持った」だとか「やめない意味はいつの日も寂しさだ」だとか「同じ地獄で待つ」なんて言ってくれる人だったりする。

 

 やっとたどり着きましたよ。道のりは長かった。本稿は星野源のエッセイ『そして生活はつづく』の感想文です。

 

 いやはや、これはすごいぞ。最近エッセイを読むのがブームでさ、町田康だったり、後藤正文だったりを漁っていた。きっかけは「ネガティブの反対はポジティブでなく没頭だ」とのオードリー若林の一文なんだけどさ。これがたまらなく刺さった私は、内容が似ているとの『そして生活はつづく』を読みはじめたのです。個人的には挙げた中で1番よかった。

 

 彼の抜けていてふざけていて面白おかしい日常から各章は始まるが、中盤で物事の核心を突き、その真面目な部分を恥じるように落ちをつけて終わる。これを書ける彼はただただ明るい人物ではないのだ。星野源を聴く人はもちろんご存知だろうけど、曲から滲み出る以上に彼は弱く、そしてそれを乗り越えようとしていた。

 

 彼は生活が嫌いで、歪んだ自分が好きで憎くて、自意識過剰な自分をなんとかしようとしていて、ひとりとは社会とは何かを考えている。

 そして彼が考え出した乗り越え方が「今を踊る」ことなのだと思う。以下で私の響いた箇所を紹介する。

 

私自身が自分の屈折した部分に「食わせて」もらっている

行きづらさを緩和するために表現をするのだし、マイナスがあるからプラスが生まれるわけだし、陰があるから光が美しく見えるのである。

 

そろっていたとしても、それは「ひとつ」では絶対ない。ひとりひとりがあつまった「たくさん」だ。

 

自分探しの旅とはよく言うが、私は積極的に「自分なくし」をしていきたい。

自分のことばかりではなく、なるべく人のことを考えるのがいちばんの近道だろう。

 

連なる理由があるのに、そこにはあまり触れようとはせずにイライラばかりを募らせて、結果的に自分に原因があるのにもかかわらず、「こんなにしんどいことばかり連鎖してしまう自分は不幸だ」などと考えるようになり、そこからどんどんマイナス思考になって、最終的には「俺なんか消えてしまえばいいのさ」(以下略)

 

私は生活が嫌いだったのだ。できれば現実的な生活なんて見たくない。ただ仕事を頑張っていれば自分は変われるんだと思い込もうとしていた。(中略)

むやみに頑張るのではなく、毎日の地味な部分をしっかりと見つめつつ、その中におもしろさを見出すこと(以下略)

 

 

 何も意識をしないことを、苦痛であることを面白がる。この考え方がきっと「アイデア」に出ているだろうなぁ。無事戻ってこれました?今を踊ると雨の音で歌を歌うはきっと同じこと。次からはこの節を書こうと思います。

 

 夢の抜け殻が消耗しない唯一の方法が、普通の生活を思ったままに楽しみ、心を踊らせることだ。それは難しいけれどこのまま一生自閉探索してるよりいいかなぁと思う。

 

 深夜に聴く「nothing」や「堂々巡りの夜」が染みないようになりたい。いや、やっぱり勿体ないからもう少しだけ、明日から、いや、一週間後から、いや...。(らす)