Ni_bansenji

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語るタイプのオタクがおくるちゃんぽん感想文

過去よりたった今までを~RTCT②~

 

RADWIMPS Road to Catharsis Tour 6/19横浜アリーナ 私的感想文の掲載に当たって

 

私のことを知らない方は最後のRADWIMPSは前を向くのみを読むことをおすすめします。これはレポートではなくエッセイに近いです。

 

書きすぎた。前回の更新を見ての率直な感想だ。筆者は、ライブが終わった後に同じライブに言っていた人の感想をツイッターで探すことを好む。その日が過ぎても、その後一週間は同じことをする。もはや趣味といっても過言ではない。とりわけ好きなのは、MCを書いてくれる方。しかし、そのMCは飛び飛びで別の人が書いていることが多く、探すことが非常に困難だ。また、プロのライターさんが書いているものは非常に刺激的で興奮がよみがえるが、様子は一部しか抜かない。それでは筆者は満足できない。そこで筆者は思いついた。演出も主観もオーディエンスの反応も、MCもとにかくすべてひっくるめて私が書けばいいのだと。映像化されない公演なら、読んでそれが浮かぶほど詳細に書いてやろうと。そうして書き起こされたのが、「ド・ド・ドーンのすべてを語る」だ。大変な文字数になり、書いては削りを繰り返すうちに相当に時間がかかってしまった。その反省を踏まえたうえで今回のRoad to Catharsis Tourのライブレポートを書いたつもりが、まさかの前回に比べて1000文字オーバー。大学で3000字のレポートに苦しんでいるのはどこの誰だかわからない。正直に言うと、今回のレポートで書きたかったことは最後の1000文字だ。ただあんな長文を読む人がいるだろうか。否、筆者のみだ。そのため、筆者の素顔を隠した(そのつもり)普段と趣向を変え、今回は地で前回のレポートの要旨をまとめる。つまり、これは私の私による私のための前回レポのリライトだ。7000文字読んでくれる愛する変わり者はそちらを読んでくれたまえ。

 

追記:誰だ今回は短いと言ったのは。結果4000文字になってしまったことを謝罪する。

 

RADWIMPSは走り続ける ついでに私も走り続ける

RADWIMPSは近年新しいことに取り組み続けている。タイアップの書き下ろし、映画主題歌、テレビ出演、打ち込みの多用、挙げればキリがない。彼らはいつでも前も向き、走り続けている。6月19日当日、奇しくも私も走っていた。その日の私のスケジュールは2時半まで授業を受け、3時頃グッズを買いに行き、余裕を持ってライブに臨む...はずだった。タオルを持ち、ラバーバンドを持ち、Tシャツを私服として着て準備万端の私は痛恨のミスを犯す。当日着用するために買った『カタルシスト』のバンダナがない。私の地元は神奈川だ。実家から横浜アリーナまで往復2時間ほど、大学から横浜アリーナまでは片道30分。これなら懸命に走れば取りに帰れる。売り切れが早いと噂のラバーバンドを買い、そのうえバンダナを取りに帰宅するタイムレースが始まった。大学から駅まで、新横浜から会場まで走る。友人のラバーバンドを代行し、自分用のグッズを会場引き換えで受け取り、リハーサルを聴いてしまいネタバレを食らいショックを受けつつ新横浜へ戻る。この間驚異の40分。開演まであと2時間ほど。チケットはRADWIMPSのライブに不慣れな友人が持っている。気分は走れメロスだ。ぐっしゃぐしゃになりながら、どうにか私は開演に間に合うがもうすでに疲労困憊。ライブは地獄だった。

 

RADWIMPSが潰しにかかる 私はついにダウンする

「AADAAKOODAA」から始まるライブは予想外。ちなみに私は今ツアーが始まってからTwitterでネタバレをするアカウントを片っ端からリムーブしている。どうせ一方通行だから構うまい。ちなみに、RADWIMPS公式Instagramの投稿も見ていない。そのためすべての曲が予想外...嘘です。実は「HINOMARU」の紙テープと「やどかり」についてネタバレを食らったため完全防備の体制を取りました。ちなみにリハで聴こえてしまったのは「One man live」素直に驚きたかった...。

ともかく「AADAAKOODAA」時点で私がいたのはBブロック花道の最前から4列目。サイレンが眩しく目が開けられないでいると、メンバーの入場が始まった。初めてのくわちゃん側、よーじろは前の人で見えず、愛する武田も全く見えず。オープニングからかますなぁと思いながら必死でレスポンスをした。1曲ずつレポートしたいが、それは7000字の方で書いたので今回はなし。初めて生で聴く曲は「One man live」「やどかり」「カタルシスト」「HINOMARU」「洗脳」「セプテンバーさん」だ。今回は以上の思い入れの強い曲について語る。

「One man live」イントロの勢いのある青臭さにガツンとやられた。この曲は私の中学二年生を彩る曲。何度勇気づけられ救われたか分からない。私が勝手にこの曲と対になると思っている"魔法鏡"もいつかライブで聴きたい。

「やどかり」言うまでもない智史の曲。これは彼がいないと成立しないと思っていた。楽しそうにドラムを叩く刄田さんとみっきー、おどけて行進のように足踏みする桑ちゃんを見て目頭が熱くなる。3人足してやっと智史が見えた。

カタルシスト」炎の演出に驚愕。サビのクラップで心酔。最新曲はなぜこんなにも心をくすぐるのか。メンバーもなれていなそうな曲は素敵だ。ライブバージョンってなんてかっこいい。疾走感に溢れていた。

「洗脳」アレンジに痺れた。イントロでえっこの曲知らないと思った。長調の不協和音。そこから突然始まるトーキングロック。バックスクリーンに移された文字の洪水と血のような赤。そう、RADWIMPSのイメージはこの毒々しい赤と爽やかな青。青のイメージだけ押されちゃ困るぜ。原曲に忠実だとか、音源で聴くまんまよりも私は以上を好む。それを十分に満たすボーカルメロディーのアレンジ、大満足。

HINOMARU」これについてはもう語ることは無い。MCは福岡公演が一番熱かった気がするなぁ。自分の考えはリベラルであることを述べ、曲を作ったことでなく、悲しませた人がいることに謝罪する、いい形だと思った。...実は横アリでこれよりあとのMCはあまり聞けていない。走り回った私はなんとここで貧血による立ちくらみに襲われる。RADWIMPSと共に最高のボルテージで走り抜けたかった。

「セプテンバーさん」一番好きな曲は?と言われればこれを答える...のではないか。正直迷って答えられないと思う。では、一番行きたかったライブは?と聞かれれば問答無用で青とメメメだ。"Oh セプテンバー"がやりたくてたまらなかった。大満足。くわちゃんのギターのボリュームをゆっくり絞るよーじろーに2人のつながりの強さを感じた。悶絶。この時には立ちくらみはすっかり治りました。

 

RADWIMPSは前を向く つられて私も前を向く

 

本ツアーは「アルバムツアーではないから普段やらない曲を」をコンセプトにしたライブだ。アンコールの「セプテンバーさん」が今ツアーを至高のものにしたのは間違いない。また、私には「One man live」が効いた。必死になってアルバムを揃えたあの時期を思い出した。やはりどんな形になっても彼らは私のヒーローに違いないのと再確認した。

ただ、このツアーで言及するべきは「やどかり」と「前前前世」が演奏されなかったことではなかろうか。昨年のツアーでアルバム未収録の曲が演奏されたのは1曲のみで「ハイパーベンチレイション」だった。本ツアーでは「洗脳」と「やどかり」がそれにあたる。長年RADWIMPSを愛してきた人ならわかるだろう。ファンアートで著名なとぅじ氏が日頃主張しているように、「やどかり」は山口智史(Dr)の曲だ。公式で作詞が作曲がと言われている訳では無い。ツアー『絶体延命』でドラムセットを背負い、マーチングのようにチンドン屋のようにおどけて行進してみせた彼の姿が忘れられないのだ。

RADWIMPSが3人になって初めてのワンマンライブ「RADWIMPSのはじまりはじまり」のアンコール曲は「お風呂あがりの」だった。この曲はドラムを使わないアコースティック仕様だ。その曲を演奏する彼らを見て、彼らは智史を待っていると思った。そのように「やどかり」は3人になってから今ツアーまで1度も歌われていない。

RADWIMPSのHESONOO』をご覧になっただろうか?「つながりを断ち切って人は生まれてくるんだよ」をキャッチコピーにしたこのドキュメンタリーのテーマは「優しい嘘」だ。10周年の期間中つき続けた彼らの優しい嘘は山口智史の無期限休養だ。そう、演奏できない彼は休養よりも脱退に近い。文字にすると口にすると実現しそうでずっと言えなかった。あえて言おう。彼が帰ってくる可能性は限りなく低い。

上記の2点を知った上で聴く「やどかり」は永久欠番を埋められたような悲しさだった。智史は戻ってこないと突きつけられた気がした。しかし、それを悲観してはならない。筆者が行った横浜アリーナの1日目に智史が来ていたという噂がある。二人の子供を連れて笑っていたと。智史が見ている公演で「やどかり」を演奏する。これは3人が前を向いたことの象徴だ。彼らは言っていた「智史がいないことを前向きに捉えたい」と。ドラムスがいないから、打ち込みを試すのだと。私はそれを信じられなかった。追悼のように(不快に思う方がいたら申し訳ない)歌われる「お風呂あがりの」があったからだ。しかし、本公演で「やどかり」は演奏された。彼らは進まなければならない。智史がいない間も「RADWIMPS」を保つために。その名を廃れさせてはいけない。いつまでもトップを走り続けられるように。それを彼らはついに実行した。「俺らなら大丈夫」と聞こえるような気がしたのだ。

また、本公演では今や彼らの代表曲となった「前前前世」が歌われなかった。「『君の名は。』の曲は1曲も演奏しないつもりだった」と語る彼らが選んだ曲は「スパークル」だった。新規のファンはきっと聴きたかっただろう「前前前世」が演奏されなかったのはなぜだろう。それはRADWIMPSが『君の名は。』の1発あたりではないことを示すためだ。『君の名は。』フィーバーは終わった。このまま「前前前世」を歌い続ければ彼らは『君の名は。』の遺物になってしまう。彼らはそれを避けた。現在のRADWIMPSとそれ以前のRADWIMPSをフルに発揮することで。私は懐古厨だ。RADWIMPSは変わった。近日私はそれしか言わなかった。しかし、自明ながら現在のRADWIMPSは過去の彼らの積み重ねなのだ。過去だけでなく、過去からたった今、現在のRADWIMPSまでを愛せ。

繰り返しになるが、彼らは今ツアーで「やどかり」を演奏し、「前前前世」を演奏するのをやめた。それは彼らが前を向き、なおかつ進むためだ。彼らは留まることをしない。それは同時に変化していくことを表す。彼らは変わり続ける。私たちはそれを見届けなければ、一生お前についてくと言わされたのだから。