Ni_bansenji

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語るタイプのオタクがおくるちゃんぽん感想文

青春の残り香

 10代のうちに手に入らなかったものを人は一生追い求めると聞いた覚えがある。若いうちに手に入ってしまったものを一生追い求めるのもまた道理だろう。それなら、人生のおよそ10分の1に満たない青春に私はどれだけ苦しめられるのだろうか。

 

 本稿と、その続編では、今年公開された2つの映画について触れる。どちらも話題作であり、また胸の内にこっそりしまうつもりの作品だったが、ついうっかり書かせてもらいたい。本日はとてつもなく書きたい気分なのです。

 

 私が先日見た二つの映画は『SUNNY 強い気持ち強い愛』と『ここは退屈、迎えに来て』だ。

 

 まずは1つ目の『SUNNY 強い気持ち強い愛』について書こう。本作は韓国映画『SUNNY』のリメイクだ。監督は『バクマン。』や『モテキ』での活躍が記憶に新しい(恐ろしいんだけどモテキはもう新しくないらしいよ)大根仁、音楽は引退を発表した小室哲哉、近年お涙頂戴映画の火付け役(ごめんなさい、軽く観れるので私は大好きなんだけど)川村元気。さらに、主題歌は小沢健二の「強い気持ち・強い愛」。なんだこれは、J-POP全開、ええじゃないか状態の超弩級パーティー映画になると思っていた。そんな映画のキャッチコピーがまさかの「大人になって青春と再会した」だ。見に行かないわけに行かない。

 舞台は2018年の東京、専業主婦の奈美(篠原涼子)が末期ガンに侵された芹香(板谷由夏)と再会するところから始まる。余命1ヶ月の親友の最後の願いは高校時代の友人グループ「SUNNY」と再会すること。親友のため奈美はかつての仲間たちを探し始める。

 物語は奈美の回想を中心に進行する。高校時代のSUNNYのメンバーを演じるのは広瀬すず(奈美)、山本舞香(芹香)、野田美桜(裕子)、田辺桃子(心)、富田望生(梅)、池田エライザ(奈々)だ。

 奈美は興信所を頼りにかつてのメンバーを集めていくが...。現代の進行とともに少しずつ、何故彼らは散り散りになってしまったのかが明かされる。

 

 さて、本作で私が書きたいのは2点。パンフに名前が乗らない彼女のこと、大人になった彼らが抱える切なさとそれをJ-POPにまとめた大根仁のことだ。

 1つ目は鰤谷(小野花梨)について。ドラッグに手を出し、仲間うちから外され、執拗に奈美を虐める彼女はラストシーンまで徹底的にヒールを演じる。彼女はみっともなく、またおぞましく、ゴミを見るような、憐れむような目でSUNNYメンバーに見られる。しかし、ラストシーンで彼女が漏らすのは「友達になって」「なんであたしは仲間には入れないの」「あんなにいっぱい遊んだじゃん」(全てうろ覚え)という悲痛な叫びなのだ。彼女は道を誤るが、彼女の根底は芹香への好意でできていたのだ。それなのに、彼女は、芹香がいちばん大切にしていたSUNNY崩壊のきっかけを作る。事態は彼女が望んだものと真逆に進んでいく。

 私が一番幸せになって欲しかったのは鰤谷だ。冒頭の話を引用すれば、彼女は一生芹香の影を求めることになる。しかし、彼女の求める存在は彼女の知らない間に失われている。20年後の彼女がどうしているのか気がかりで仕方が無い。実は彼女はラストシーンに映っているのだが、その話は2つ目の話の後にしよう。

 2つ目は大人の切なさについてだ。本作を象徴するのはラストの「強い気持ち・強い愛」のダンスシーンだろう。あれがあることで、観客は「面白かったね〜。懐かしかったね〜。教室にEGG置いてあったの見つけた?」なんて話をしながら映画館を出ていくことができる。しかし、私は言いたい。いや、ちょっと待ってよ、この映画めちゃくちゃ暗いじゃん。高校時代と現在の対比、賑やかな青春が崩壊する様、親友の死との遭遇。これを懐かしかったで済ますことが出来るか。

 本作で1番輝いているシーンは、ダンスコンテストを控えたSUNNYが、未来の自分たちに向けてビデオメッセージを残すシーンだ。実際に彼らがハンドカメラを用い、アドリブを多用して作ったシーンには必見の価値がある。池田エライザがアドリブで泣き始めるシーンも素晴らしいのだが、ここではシナリオを取り上げたい。このシーンはたまらなく微笑ましく、どうしようもなく切ない。観客に自らの高校時代を思い出させることはもちろん、SUNNYのメンバーの高校時代と現在の差を浮き彫りにするのだ。

 1番切ないのは奈美の「これからもずっとずっとみんなと仲良しでいてね」というセリフだ。ここで奈美が終わりを意識しているのがわかる。青春は過ぎ去ってからわかるものという人がいるが、そうだろうか。奈美がこれを願わねばならなかったのは、渦中にいながら彼女がこの関係が終わってしまうことをどこかで分かっていたからだ。その願いも虚しく予想通りになり、この映像を篠原涼子演じる20年後の彼女は一人で見ている。

  一番寂しくなったのは仲間を助ける方法の移り変わりだ。高校時代、鰤谷の振りかざした破片を受け、奈々は顔に傷を負う。体を張ることが、彼らにとっての友人を助ける手段だった。何も持たない彼らはそうするしかなかったのだ。対して、20年後の奈美は友人を探すため大枚を払う。芹香は友人を救うため、多額の遺産を残す。彼らを助けられるのはもう金しかないのだ。もちろんこれが最も正しい行為だったとわかっているが、こんなつまらないことに寂しくなってしまった。

 

 と、ぐだぐだ並べてきたが、SUNNYは先に述べた通り明るい気持ちで見終わることが出来る。なぜ今作がこのような作りになっているか。それは、もちろん、悲しいのは現実だけで十分だからだろう。青春映画は見るものに、青春時代と現在を対比させ、やるせない気持ちにさせる。生きていく上で、そんな時間も確実に必要なものだろう。しかし、それでは活力が失われてしまう。そのために、本作は上演中に憂鬱なきもちを抱かせ、ラストのダンスシーンでそれを完全に持っていく。オールキャストが登場し、幸せそうにしているシーンを見せられ、喜ばない観客はいないだろう。ラストのダンスシーンが観客に「強い気持ち・強い愛」を抱かせる大根仁マジックなのだ。

 冒頭で述べた通り、青春は甘酸っぱいと言うよりも苦く酸っぱいものだろう。その苦く酸っぱい青春を笑い飛ばすのが本作だ。和製マンマミーアとされた本作は、私を含む多くの人が見返すものになるだろう。(らす)