Ni_bansenji

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語るタイプのオタクがおくるちゃんぽん感想文

3つの雨上がりとRECの行方

本稿はネタバレを含む。

 

さて、昨日は映画『恋は雨上がりのように』の公開初日であった。筆者は、公開初日に横浜ワールドポーターズで本作を鑑賞した。言わずもがな原作で2人が映画デートする場である。筆者は、映画化されるものの殆どに対して「原作が一番」と声を張り上げる害悪であるが、本作は声を大にして言おう「この構成はすごい」原作を未読の方も既読の方も本作を見るべきである。永井組は本当に素晴らしい。

本稿では、映画・原作・アニメの『恋は雨上がりのように』について比較し考察を行う。それに付随し、冒頭では映画のロケ地について触れさせていただきたい。

 

まずはロケ地について語る。呆れられそうだが、本作は筆者得というレベルで知っている場所しか出てこない。

最初に挙げるのは、オープニングでの杉田駅付近と港南台さえずりの丘公園である。(杉田駅付近の場所提供をしてくれた筆者友人に感謝)f:id:rasuno_nibannsennji:20180525233634j:imagef:id:rasuno_nibannsennji:20180525233650j:imageデートのシーンは原作通りの桜木町駅で待ち合わせ、図書館は原作では横浜中央図書館を使用しているが、映画では神奈川県立図書館を使っていた。f:id:rasuno_nibannsennji:20180526000351j:image(http://hamarepo.com/story.php?story_id=1549より借用)f:id:rasuno_nibannsennji:20180526000156j:image(http://hamarepo.com/story.php?story_id=1549より借用)店長がお見舞いのためあきらの元へ来る時のファミリーレストラン桜木町のジョナサンであると信じたい。

店長とはるかが鉢合わせるシーンではB&D渋谷店がでてくる。内装、ショーウィンドウの外に渋谷のハチ公バスが通っていたため間違いない。はるかが眺めるのはナイキズームフライである。原作ではニューバランスらしきものを持っていたためこちらの方が現実味が強い。(https://www.bnd.co.jp/shop_detail/sibuyaより借用)。f:id:rasuno_nibannsennji:20180525234115j:imageはるか率いる風見沢高校とみずきの南高(映画では南女子高校になっていたが、中高一貫ということで横浜市立南高校ではないかとの指摘を頂いた)が合同練習を行っていたのは上柚木競技場。(http://map.tokyofootball.com/hachiojikamiyugi/より借用)

f:id:rasuno_nibannsennji:20180525233555j:imageあきらが100mで11.44をたたき出すのは相模原ギオンスタジアムである。(https://ja.wikipedia.org/wiki/相模原麻溝公園競技場より借用)f:id:rasuno_nibannsennji:20180525235142j:imageあきらが走る海岸は逗子海岸である。原作では横浜市金沢区海の公園であったが、何らかの都合でこちらに変更したのであろう。(https://parking.nokisaki.com/spot/p/14208より借用)f:id:rasuno_nibannsennji:20180525235627j:image

 

このシーンの前に、あきらとはるかが走る夜明けのシーンはおそらく山下公園方面である。

ずさんで申し訳ないが、ロケ地紹介はこのあたりで切り上げたい。

 

本稿は対比をテーマに映画・原作・アニメの本質に迫りたい。

 

まずは対比という視点で映画の本質に迫りたい。最初に挙げるのは、あきらと店長の対比である。ラジオやカーステレオを聴く店長とスマートフォンを操作しながらテレビを眺めるあきら。ここに世代の差が顕著に現れている。

また、私が強く印象づけられたのは桜木町の待ち合わせシーンとはるかがものを投げるシーン、すれ違いのシーンである。桜木町ではあきらは加瀬と店長のそれぞれとデートすることになる。加瀬と会う日、待ち合わせ場所では加瀬があきらを呼び、気だるげなあきらが振り向く。店長と会う日、待ち合わせ場所ではあきらが店長を呼び、着飾ったあきらは可憐に笑う。原作通りのシーンであるが、同じアングル、あのテンポは爽快である。次に、はるかが投げるものである。あきらが11.44の記録で優勝した日、はるかはスタンドからあきらに向けタオルを投げる。怪我の後、陸上とはるかから少し距離を開けたあきらにはるかは校舎の2階からムキ彦のカプセルを投げる。陸上をあいだに挟んだ関係とそれがなくても続く関係。2つの対比は本当に美しい。

 

それでは次に原作とそのメディアミックスであるアニメ・映画を比較したい。

まず触れたいのは情景描写である。原作ではあきらの心情は雨で表され、多くのシーンに傘が登場する。最終章付近で、たたんだ傘から雫が滴り落ちる店長とこれから傘を広げるあきらの描写は実に印象的である。また、ガーデンを辞め、競技に復帰したあきらが持つ日傘は「雨がやんだら傘はどうするべきか」という最終巻の課題を劇的に解決する。それでは、映画では何が傘の代わりをしたか。これは天気予報である。前半、葛藤するあきらと店長が描かれるシーンで流れるラジオの予報は雨を告げる。それがあきらがテレビで見る天気予報であっても、店長がラジオで聞くものであっても必ず予報は雨である。それがラストシーン間近では2人のどちらの予報も「長く続いた雨はやみ、晴れ間が広がるでしょう」と告げるのである。

次に触れたいのは音楽である。原作であきらが音楽を聴くシーンでは映画と同様に神聖かまってちゃんの楽曲が用いられる。映画では主題歌に神聖かまってちゃんの「フロントメモリー」のカバーを、劇中歌に伊藤ゴロー、スカートの澤部明、忘れらんねえよの柴田隆浩、神聖かまってちゃんのの子とmonoを迎え、雨音を思わせるピアノサウンドが使用された。アニメではオープニングにCHICO with Honey Worksの「ノスタルジックレインフォール」エンディングにAimerの「Ref:rain」が使用された。この項目ではそれぞれに使用された楽曲の歌詞からその意図を読み取りたい。「フロントメモリー」は原作者眉月じゅんが原作を書きながら聴いていたあきらのテーマソングである。自分が本当にやらなければならないことは分かっていても、沈んだ気持ちが奮起させることを許さないような頑張ることの出来ない人への応援歌ととることが出来る。「ノスタルジックレインフォール」は自分の気持ちに気づいてくれない年上に向ける曲。あきらのいじらしい気持ちを歌う。「Ref:rain」は幼い自分の切なさを歌う曲である。

こうして並べると明確に個性が出る。原作はともかく、映画とアニメは明確に重きを置く場所が違うのである。恋と雨をブレンドした原作に対し、アニメは恋愛に重きを置き、映画は雨宿りに重きを置いている。

それではそのようにフィーチャーする場所が異なる物語の終着点はどこに行き着くのか。もちろん傘のたたみ方も3作異なる。どしゃ降りの心に傘を差し出してくれた店長との恋は、雨が止めばどうなるか。原作では、互いに恋心を抱きながら2人の恋は成就することなく、店長があきらをやりたいことへと進ませる。雨がやみ、畳んだ傘は日傘となる。明確な終わりに少しの光が差すラストである。アニメでは、2人は別れ際、再会の約束をする。2人が諦めたものに向き合うことが出来たその日に。これは終わりを感じさせながら、どこかに再会の可能性を残す観るものを救うラストである。

忘れない。時が過ぎてもどこに居ても明日を教えてくれた人を思い出す。雨上がりの空を見る度に。

とのモノローグは実に扇情的である。

そして映画では、店長はあきらに「来月のシフトは希望通りには入れられない。来月は1度も入れられない。来月だけじゃなくて、再来月もこの先もずっと(うろ覚え)」と告げ、あきらはリハビリを始める。ラストシーンは河川敷。軽自動車のカーステレオから「それでは最後はこの曲」という声が漏れた時、店長とあきらが率いる風見沢高校陸上部がすれ違う。車を降りる店長とあきらは二人きりになる。あきらは涙を溜めながら「店長、私たち友達なんですよね?」と尋ねる。(この時の小松菜奈の顔を私はずっと忘れられない)続けて、「友達ならメールとかすると思うんです。」これはもう舌を巻かざるを得ない。このセリフをここで使うのかと。2人が思いを通わせること、別れることしかなかった原作・アニメと異なり、映画ではあきらが涙を飲み、それでも続けることを選ぶ。これは苦く優しいラストである。

こじつけて解釈すれば、「RECした風景は再生せず」のようにリアルタイムを持ち続けず、思い出にしてしまうのが原作である。「この瞬間迷わない 傘はいらない」のアニメでは、ふたりはもう互いがいなくても歩き出すことが出来る。おそらく2人が互いに連絡することはない。そして、映画は「RECした風景は再生せずに ニュービート」のように、恋に蓋をし友達として店長と向き合うことをあきらは選ぶ。

私が一番好きなラストは日傘の原作である。店長は、手紙を読まないことであきらへの思いを抑え込む。あきらは最後のプレゼントを店長を忘れないとの思いを込めて雨上がりの空に掲げる。反対に見える彼らの仕草は、恐らくしばらく経てば逆転する。あきらは店長を忘れ、店長は一生涯あきらを忘れることが出来ない。

 

おそらく、どのラストが好きであるかは人により異なるだろう。また、どのラストが好きかと聞かれてすぐ答えられる人は本当に少ないだろう。ただ、そのどれもが人々の心に哀愁を残す。本稿を締めるにあたって、声を大にして言おう。「これこそが実写化成功作品である」

映画をもって私の2年半にわたる雨は止んだ。ブルーレイの発売を待つ。(らす)