Ni_bansenji

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語るタイプのオタクがおくるちゃんぽん感想文

恋雨と羅生門 ~選択する勇気とは~

 

さて、今回のネタは『恋は雨上がりのように

少女漫画かと思って手を止めた人にこそ読んでほしい。この作品は恋愛ものに終わらない。空っぽな毎日を送るかつて高校生だったあなたに読んでほしい。

また多少のネタバレを含むので本作を完全に新しい気持ちで読みたいという方はここで読む手を止めることをおすすめする。

 

本作品は青年誌『ビックコミックスピリッツ』に2014年から連載され、2018年3月19日に完結した。最終巻である10巻の発売日は4月27日。メディアミックスが盛んで、アニメは『ノイタミナ』にて2018年1月から3月まで放送され先日完結した。また小松菜奈大泉洋が出演することで話題の映画は5月25日から上映される。

そうつまりコミック派の筆者は4月27日、5月25日を待ちきれずこの文を書くのである。

 

 

本作品の舞台は横浜。主人公はファミリーレストランでアルバイトをする高校二年生。彼女はあることをきっかけにバイト先の40代店長に恋をする。大筋を説明すればこれは確かにラブストーリーである。しかし、何度も繰り返すが本作はそれと一括りにできない。これは挫折を経験した人々が再び前を向き歩き出すまでの「雨やどり」を描く物語である。

 

最初に軽く主人公二人の紹介をしたい。

まずは1人目の主人公である橘あきら。映画では小松菜奈が演じる。彼女は風見沢高校(モデルは県立氷取沢高校)に通う高校二年生。100m走を専門とする陸上競技部のエースであったが、アキレス腱を断裂し、競技を続けることを諦める。心身傷ついた彼女は立ち寄ったファミリーレストランである「ガーデン」(ガスト)で店長に出会い、かけられた一言をきっかけに彼に好意を抱きそこでアルバイトを始める。

2人目の主人公は近藤正巳。映画では大泉洋が演じる。彼はファミリーレストランである「ガーデン」の45歳万年店長、おまけに子持ちバツイチ。実は早稲田大学出身で小説家を志したことがある。今はその夢を諦めているが、未だに純文学に執着を持っている。

 

さて、これから映画を観る方、漫画を読む方も多いと思うので、本筋に触れることは避け、本作の見どころ・テーマに迫っていきたい。

 

まずは見どころから。

本作の見どころ1つ目は繊細な描写である。

そのひとつは天候。

本作は雨の中展開される。主要な場面では必ず雨が降る。これだけ読めばドラマのような露骨な表現を嫌う人もいるだろう。しかし、この雨は情景だけにとどまらない。抜けるような青空の描写であっても読者は雨音を聞かずにはいられない。

言うまでもなくこの雨は夢を諦めるあきらに降りかかる「心の雨」である。読者は一読すれば聞こえる雨音に作者の才能を感じずにいられないだろう。

 

本作の見どころ2つ目は詩的表現

本作はモノローグや台詞がかなりずしりと重い。ここに触れてしまうとかなり本筋を説明してしまうので、シーンには触れず文だけを引用させていただく。

いつだってかえりたい。青く跳んだ、あの季節。なつかしい、胸の痛み。

いつだってかえりたい。青く跳んだ、あの季節。わかちあった、胸の高鳴り。

 

俺たちは大人じゃない。同級生だ。

 

どうしてこんなことになってしまったのだろう。いくら考えあぐねても『そうなってしまった』と言うほか答えはない。前に進むしか、ないのだ。

 

飛び立てなくても、その地にとどまって得る幸せもあるかもしれないね。仲間たちのことも忘れて…。でも、そのツバメが飛び立たなかった理由がただの諦め出会ったとしたら…きっと毎日、空を見上げることになる。

 

ノスタルジーの塊があなたの心をくすぐるならあなたは本作を手に取るべきである。

 

本作の見どころ3つ目はモデルとした場所がはっきり描かれている点である。

作者の眉月じゅんが横浜出身であるため、本作は横浜近郊に住んでいる方なら「ああ!ここか!」となる場所で埋められている。

例えば、京浜急行上大岡駅、富岡駅、東急東横線元住吉駅、JR桜木町駅コレットマーレに赤レンガ倉庫、ワールドポーターズ横浜市中央図書館、有隣堂…あげればきりがない。

あきらが通う高校もバイトに行く「ガーデン」までにもモデルがある。また、筆者は陸上競技部に所属していたため、練習で使用した海の公園柴口や三ツ沢競技場には感傷を感じざるを得なかった。

 

さて、ここからはテーマを掘り下げていきたい。表題に挙げた通り、本稿では『羅生門』の観点から『恋は雨上がりのように』を見ていく。

 

羅生門』とは皆様ご存知の通り、芥川龍之介の小説である。(時は平安時代、職を解雇された下人が廃れた羅生門の2階で死人の髪を抜き鬘を作ることを生活の糧にする老婆に出会う。下人は老婆の話を聞くうちに悪は生きるためなら善に変わると納得し、盗人になる勇気を得る。と言った内容だが皆様ご存知だろう)

 

羅生門』と『恋は雨上がりのように』を結びつけるキーワードは「雨」と「勇気」である。

羅生門は雨の降る一夜に下人が雨宿りをしながら盗人になる勇気、いや道を選ぶ勇気を得る物語である。下人は雨宿り前、餓死することも悪事を働くことも出来ず、佇んでいる。その下人は老婆の言葉を得て、生きるために悪を選ぶ。そして行方も知らぬどこかへ走って行く。

 

対して『恋は雨上がりのように』はどうだろう。本作は登場人物がそれぞれの挫折(雨)を経験し、前に進むまでの物語である。彼らはそれぞれ燻った想いを持ちながらどうにも踏み出せず、もしくは立ち上がれずにいる。そして彼らは周囲の人々の言葉から勇気を得て、何かを選び、歩み出す。

例えば、橘あきらの雨とはアキレス腱の断裂である。彼女はこのままアルバイトを続け、夢を諦めるべきか、リハビリをし競技に復帰するべきか葛藤している。

店長である近藤の雨は断筆である。彼は離婚を機に文壇に立つことを諦めたが、再び筆をとり夢を追うべきか葛藤している。

喜屋武はるかの雨はあきらと離れること。彼女は、あきらの陸上競技部復帰を望むが、なにがあきらにとって幸せなのかがわからなくなっている。

加瀬亮介、西田ユイの雨はここでは描かずにおこう。

 

羅生門』では下人の葛藤をその若さゆえとする。しかし『恋は雨上がりのように』では葛藤は若さではなく、誰もが持つものと店長のニキビによって示唆するシーンがある。

 

平穏と挑戦。後者を選ぶことは歳をとるにつれ難しくなるものかもしれない。しかし、葛藤と同じように挑戦もまた若者のみが持つものではない。

最初に述べたように本作の最終巻は4月27日に発売される。その結末を私は未だ知らない。

彼らが選ぶ道が今後彼らの人生のプラスに働くことを願って筆を置かせていただく。(らす)