Ni_bansenji

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語るタイプのオタクがおくるちゃんぽん感想文

The time is now ~RADWIMPSの新章~

本日のネタはRADWIMPSの新曲「カタルシスト」の耳コピ歌詞である。

全ては私のおんぼろクソイヤーが聞き取ったものなので保証はできない。英詩は1部自信があるが、文法としては恥ずかしいほど稚拙である。本稿では、耳コピのあと、新曲の感想を上げていきたい。

 

勝つか負けるかとかじゃないだとか勝ちよりも価値のある待ちだとか言いたいこたぁわからねぇでもねぇがおい
勝たなきゃ始まらにゃーこともあるわけであるのだからさ

詰まるところようするに今は御託ならべずにがむしゃらに勝ちにいく時


今がその時 今が今まさにその時
今がその時 今が今まさにその時

Here we are now is get take this game.No way loseing is not suitable.
For everything feel carring inside us.
Let's brake in the pieces of the blue.
We are go winners.

 

誰かを負かしたい訳じゃない
ただ自らの高みへ
登りたい出会いたいまだ見ぬ自分の姿に
だから僕ら今手をとるよ
あなたの握る力がどれほどの勇気をくれるのか
あなたはきっと知らない
あなたにとってもどうかそうでありたい


敵は強く見えるものいつの時もそういうもんだもの だども敵にとっちゃ君はまたその遥か高くそびえ立つ超えられなき偉大な壁
今日までの君の日々のすべてをいざ出す時はそう


今がその時 今が今まさにその時
今がその時 今が今まさにその時

Here we are now is get take this game.No way loseing is not suitable.
For everything feel carring inside us.
Let's brake in the pieces of the blue .
We are go winners.

 

誰かを負かしたい訳じゃない
ただ自らの高みへ
登りたい出会いたいまだ見ぬ自分の姿に
だから僕ら今手をとるよ
あなたの笑う姿がどれほどの勇気をくれるのか
あなたはきっと知らない
あなたにとってもどうかそうでありたい


君と走り抜ける風に乗れば勝てない痛みなどないとただ愚かな程に信じれる心があるよ
僕が叫ぶこの声にはたとえ意味などなかろうと
君にただ届けと願う心が叫ぶのやめないの
願うだけただ願うだけ
君の夢が咲き誇るまで
願うだけそう願うだけ
君の夢は僕のでもあるから

 

本曲の感想を一言で言えば「やられた」。前回のブログで近年RADWIMPSは「やられた」と思う曲がないと書いた考察が恥ずかしい。いや、私が最近のRADWIMPSはみんなに受け入れられるものに寄ってきていると考えていることは変わらない。人間開花は最も開けたアルバムで、叩かれることは覚悟だが最も嫌いなアルバムである。それでは本作はどうであったか。本作は今までの閉鎖的RADWIMPSと開放的RADWIMPSの融合という構成を持つ。RADWIMPSの新しい顔となる曲である。

さて本作は打ち込み全開のヒップホップサウンドである。トレーラーからコッテコテJ-Rock(pops)を想像してしまったことを謝罪したい。彼らの曲にはヒップホップ要素が度々登場する。しかし、本作は革新的だ。何が革新的か、それはもちろん前向きな歌詞である。彼らのヒップホップ調の曲は厭世観に満ちていた。他者への批判で自己への批判で満ちていた。それが本曲ではどうだ。これは自分を鼓舞するヒップホップである。

私がコッテコテJ-Rock(pops)と批判したサビ。これは綺麗なRADWIMPSを好む人向け。そして前述したごちゃごちゃしたRADWIMPSのラップ。広く愛される開放的サウンドと狭く好むものしか聴かない閉鎖的サウンドが交互に繰り返され、最後にはエレクトリカルなRADWIMPSサウンドへと重なる。これはたまらない構成である。

そして、新章と題うった本曲は今までのRADが散りばめられている。打ち込みのドラムは、まるでアイアンバイブル。ラップはAADAKOODA。君の夢は僕のと語る歌詞はリユニオンのよう。今日までの君に叫べを感じるのは私の考えすぎである。"I" novelまでも彷彿させる。。

とにかくカタルシストは新しい。これがいいか悪いかは今の私には言えない。開かれたRADWIMPSを嫌っているのは何も変わらない。今作もどちらかと言えば開放的RADWIMPSに寄るだろう。しかし、本作を嫌いになれない、むしろ興奮してしまったことは事実である。頭では私の好む閉鎖的哲学的厭世的RADWIMPSでないと理解しても、耳が本作を好むのを止まらない。

この先のRADWIMPSはきっともう閉鎖的なものに戻ることはないだろう。開かれてしまった扉には人が押し寄せ、それは閉じることを許さない。それに対し、悲観する人も、歓喜する人もいるだろう。しかし、彼らの曲はそのどちらもを引きずる力を持っている。初見の感想が「やられた」で始まるこれからのRADWIMPSに期待しよう。HINOMARUはどうなるか、発売日が待ち遠しい。