Ni_bansenji

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語るタイプのオタクがおくるちゃんぽん感想文

目指す場所と旅の終わり ~三浦しをんと遺失物~

これは本当に私が書くべきではない。

 

夢の舞台が見えてくるこの時期は、大勢の人の夢が終わる季節でもある。インハイ・インカレ・全中・国体、大きな大会は当たり前のことだが、出場する人よりもそれを目指した人の方がずっと多くいる。目指す大会までの日数は引退までのカウントダウンと等しい。

 

さて、本日のネタは『風が強く吹いている』だ。

 

本書は、かつて陸上界のエースだった蔵原走が同じ寮に住む初心者9名と箱根駅伝を目指す青春小説だ。

本書の主人公は蔵原走だ。しかしながら、本当の主人公はその先輩である灰二であると言っても過言ではない。彼は、高校時代名門校の練習による故障から「弱小部でも、素人でも、地力と情熱があれば走ることはできる。」ことを証明するため、寮の住人を巻き込む。

彼は「修復」という物語のテーマを象徴する人物だ。

深い挫折を負った彼は語る。

走っても走らなくても、苦しみはある。同じくらいの喜びも。(中文略)

どこへ行っても同じならば、踏みとどまって、自分の心が希求することをやり通すしかない。

 

「歩いていれば、そのうちはしりだしたくなりますよ」

 

「あせらず歩こう。そうすればきっと、走れるようになるから」

 

三浦しをんは様々な物語から伝える。失くしたものは同じ形ではかえらないと。

灰二の古傷に、『まほろ駅前多田便利軒』では行天の小指に、済んだことは取り返しがつかないと。

しかし、「すべてが元通りとは行かなくても、修復することはできる。」

 

理想の形で終わることが出来るのは本当に一握りのみだ。その理想の終着点というものがどこまで進めたかだけで測れるものならば。しかし、理想の形はそれだけでは測れない。自分はよくやったとすんなり認めることが出来る地点が、あなたの理想の終着点だ。どこかに諦めきれない気持ちがあるなら、悔しいのなら走って欲しい。もちろん、やり直しに遅いということは無い。しかし、ここで走ることが出来るのは今だけだ。もう一度よく心に留めてほしい。修復はできると。(らす)