Ni_bansenji

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語るタイプのオタクがおくるちゃんぽん感想文

きみと歌いたい曲がある〜『parks』と続く日々〜

あなたはオープンリールを知っているだろうか。簡単に言えばレトロな音楽プレーヤーである。それでは井の頭公園は?橋本愛は?染谷将太は?永野芽郁は?

さて、今回語りたいのは映画『parks』についてである。本作は井の頭公園100周年を記念して作成された公園と音楽がテーマの極上青春映画である。

なぜ筆者が本作を観たか。これは橋本愛の出演に尽きる。橋本愛がまた劇中で歌うと聴けば筆者が黙っていられるわけがなかろう。しかし、橋本愛見たさから観た映画と言うには申し訳ないほど「すごいものを見た」。この映画には力がある。

 

それではあらすじを説明する。本作は井の頭公園の過去と現在、未来を繋ぐ音楽の物語である。中心にあるのは50年前に作られた未完成の曲。曲は大学生の純(橋本愛)と売れないミュージシャンのトキオ、高校生のはる(永野芽郁)の3人を引き合せる。ストーリーが進む事に重なる過去と現在。彼らのグレーな日常は曲作りによって動き始める。

 

何が凄いといえば、この映画の作る空気である。ふわっとした何かが起きそうでそれでいて起きない日々。気だるいくせにやたらとキラキラする景色。それが無気力な純に非常に合う。それだけでなく、何にもなれないトキオや行くあてのないはるの心情にまで非常に合う。そんな光の取り込み方、脚本(絶対アドリブあった)演出まで本当に素晴らしい。監督のファンになりそう。

中心となる曲は作中で数パターン使われるがそのどれもが素敵。劇伴もテーマである「Park Music」も良いが、公園で弾き語りをしているという設定で度々登場するスカートが良い。まだまだインディーズのアーティストが登場するが、私が認識できたのはスカートだけであった。申し訳ない。

 

 

そしてここからネタバレを含む感想を書く。

本作が色を変えた後半について語りたい。暴走したかと思いかなり怖かった。なんだろう、打ち切りエンドのような流れの早さを感じた。サビを歌い出した時は鳥肌がたったが、それ以外は理解することが出来なかった。2回目でじわっと染みてきて、やっと本質に触れることが出来た気がする。

まずは、はるは何者であったか。本作は過去を描き、現在を描く。過去は祖母佐知子とその元恋人晋平、友人の健太が担う。現在はその孫であるトキオ、はる、友人の純が担う。しかし、恐らくこれはそれだけに収まらない。なぜならこれは井の頭公園100周年を記念する物語だから。公園は100周年を迎えるだけに終わらない。過去現在だけでなく未来が必要である。それでは、この映画の未来を担うのは誰か。おそらくはるである。突拍子のない話になるが、はるは実はタイムトラベラーなのではなかろうか。そうすれば突然挿入される過去は実際にはるが行っていたと解釈できるし、最後のシーンの純白の部屋にいる春も、純の行動を予測していた小説も全て納得が行く。「オープンリールの向こう側 君は聴いているのかな このメロディーが過去も未来も超える 君に口ずさんでいて欲しい」これが全てを理解して歌っているのならなんとも狂おしく愛おしい。

そして彼らは別れる。晋平と佐知子は別れる。純・トキオとはるは別れる。井の頭公園で様々な人々の人生の1ページは終わる。しかし、それでも日々は続く。晋平も佐知子もそれぞれその後結婚する。純は数年後井の頭公園に帰る。公園で終わった物語はまた別の人によって始められる。ここで別れた恋人たちの代わりにここで心を通わせる人たちがいる。

映画内で明言されることは無かったが、はるが未来の象徴であるなら本作は続く日々を描く物語ではないだろうか。オープンリールに録音された音楽は途中で止まる。しかし、50年後それを受け継ぐものにより完成される。彼らの音楽を作る日々は終わっても彼らの人生は終わらない。あんなに親密に付き合っていた3人はきっともうずっと一緒にいることは無い。それでも純の心の穴を埋める人ははるの代わりにやってくる。大きな出来事が終わり緩やかに退屈が帰ってくる。見慣れた風景も、馴染んだ人々もやがて去っていく。現実の日々はそうして続く。誰かが誰かの役割を受け継いで進んでいく。それをどんなに拒んでも。

 

本ブログ史上最もまとまりのない文になったがPark Musicの歌詞を引用して締めさせていただく。

「春」から「順」に「時を」経て

そうして日々は続いていくけれど、それではやはり寂しいではないか。そんな哀愁を感じる時、口ずさむ曲がある彼らがひたすらに羨ましい。(らす)