Ni_bansenji

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語るタイプのオタクがおくるちゃんぽん感想文

マイクを譲るあなたへ

 2月はあまりにも逃げ足が早い。去る3月も気がつけば目の前にいる。

 3月7日でテアトル新宿での「21世紀の女の子」は最終上映を迎えるらしい。あまりにも早すぎる。その日を迎えるまでにできるだけ多くの人をはっとさせて欲しいとと願うばかりだ。

なんて書いたのは数ヶ月前。小さくなってもその灯は眩く点っている。終わらないでくれ上映、そして早く終わってBDを、と苦しむ毎日です。

 

 「21世紀の女の子」は鏡のようだった。訴えかけられるその内容を私はどこかで知っていた。それでも形にできなかった。だからこそはっとさせられた。

 あえて私たちと括らせてもらおう。私たちは、どこかでカテゴライズされることを嫌い、また求めている。そのくせに自らは同じ目で他人を測る。個でいたいのに誰かと繋がりたくて、接点を持って火傷する。どんなに心が通っても分かり合えないことだけを分かりあって寂しくなる。大人になりたかった少女時代を経て、大人になりたくないと大人になって言う。生きているだけで息苦しくて他人をすり減らしながら、自分をすり減らしている。

 

 こんなことを考えてしまうのは中二病か?こじらせてるか?自意識過剰か?もうなんでもいいわ。内向的でもなんとでも言ってくれ。ただ、私らはこの感情を上手くまとめられない。それなのに山戸結希、あなたはなんなんだ。

 

 そんな言葉にならないもろもろを、鮮やかな色彩を使ってまとめあげてしまった。目のあたりにされてしまった。

 

 公開初日。舞台挨拶で彼女は言った。「まだ撮られていない世界の半分」と。男脳だとか、女脳だとか好きじゃないんです。だけど、それでも、世界の半分しか分からないことが、世界の半分しか発せないことが、世界の半分が今まで言えなかったことが確かにある。それをきっと普段は寡黙であろうあなたが発信するのか。

 

 セーラージュピターを選ぶあなたよ、マイクを譲り続けてもカメラだけは手放さなかったあなたよ。あなたが伝えたいことが私に伝わっているのかはいざ知れず、しかし確かに受け取りました。

 あなたが口に出来なかった様々をスクリーンを通して受け取り、私も当事者になろう。私は作る側にはなれないから、貰った衝動であなたの輪郭をなぞるよ。

 たかだか同じ時代に生まれて、たかだか生物学上同じ性と言うだけだけど、これを見た私は特別だ。なんて言いたくなっちゃった。

 

 これに女の子なんてつけるのは残酷だ。縷縷夢兎の衣装を見て少女趣味だと思うなよ?すごいものが見たいならこの映画を一緒に見に行こう。もしくは「ホットギミック ガールミーツボーイ」を。(らす)